三月十一日の昼、十二時四十分に同じように学校を出た。来週、期末試験があるので、マクドナルドへ勉強に行くかどうかを考えていた。最後、池袋のヤ マダ電機によって帰宅することにした。バスで帰宅する途中しているところに、川越街道の池袋本町の近くで、「この道では大震災が発生する時に通行禁止」を 書いてある看板がみえた。一時間の後、本当に地震が起きたのを予想しなかった。
十四時ごろ、無事にうちへ着いた。うちに 入ったら、すぐ同じようにパソコンをつけ、インタネットをしていた。二時四十六分ごろ、パソコンをしているところに、地震が来た。最初、小さく揺れ、以前 と同じようにす収まると思ったが、なにしろますま激しくなって来た。収まらなさそうなので、すぐに机の下に隠れていた。部屋で一部の物が激しく揺れるので 落ちた。やっと、一分ぐらい、揺れが収まった。それから、すぐヤフーの地震のページで探し、今度の地震の詳しくを見ようと思った。地震のページとみると、 宮城県の北部で七度の地震を発生したとわかった。その際に、私は本当にびっくりし、大変だったと思った。それから、うちの外から人の話の声を聞き、私は外 へ出た。私が住んでいるマンションの人はもとより、向かい側の弁当さんも大きな揺れなので、外へ出た。皆さんが地震に関するのを話しているところに、私は 七度と分かったのを皆に教えた。確かに、日本へ来てから、数多くの地震に遭ったが、私にはもとより、地元の日本人にも初めてそんな大きさの地震に遭遇した と言った。
東京は震源との距離が三百五十メートルがあっても、そんな激しさが感じれらた。そのため、私は負傷者や死者が出 てくると思った。やはり、テレビをつけると、地震に関するニュースばかりが放送されており、被害地での悲惨な写真が見えた。しかし、被害者の数がまだ出て いなかった。
私が住んでいる部屋のドアは地震の後、完全に閉められなくなった。一階の駐車場での水管は地震で破裂した。幸い、それ以外の損害は出か無かった。そして、マンションの担任者は当日の十八時ごろに私の部屋へ来て、損害があるかどうかを了解してくれた。
しかし、余震は続く発生している。万が一のため、予め重要な書類を鞄に入れ、鞄を持ったら、逃げられる。当日、地震が発生したら、全くの路線は運転見合わせ るようになった。その時、もし私が帰宅しなかったら、おそらく電車が運転見合わせて帰宅できなかった。電車が運転中止のせいで、道路は込んでおり、平日に 乗客数が多くないバスも乗客が込んでいた。それだけではなく、数少なくない通勤、通学する人々は歩いて帰宅するしかなかった。
夜で偶に小さい余震があっても、ゆっくりで寝た。翌日、ニュースを見ると、死者と行方不明は千人以上を上回るのが予想されたのとわかった。そんな数多くの数 字を見ると、すまない外に出た。都内の電車が運転再開してきたが、乗客が少なかった。それでけではなく、町の中でも人の数が少なかった。マクドナルドは一 時営業中止していた。
十三日の朝に、東京の街が回復しつつありそうであった。しかし、福島第一原子力発電所の第一号発電機 が爆発し、そのほかの発電機も状況が悪くなってくると聞いた。そして、クラスメートによると、百二十キーローまで放射線が広がったらしかった。それでも、 最後の一週間の授業が終わってから帰国しようと思っていた。なにしろ、十四日の朝、朝早く起きて、学校へ行く途中に、学校は休み、期末試験も取り消すこと にしたと聞いた。したがって、私は予定を変え、当日に香港へ帰ることにした。しかし、当日が満席になったので、翌日帰るしかなかった。
東京電力より東日本で数多くの発電所が地震で停止したので、大規模停電を回避のため、計画停電を当日から行い始める予定であった。地域によって、グループが 割られ、一日に3時間程度の停電になった。その影響のため、電車の本数も減るだけではなく、一部時間に一時運休されていた。成田空港を結ぶ京成電鉄も対象 になったので、翌日の便であったが、早く空港へ行き、夜に空港で泊まるしかなかった。
十四日に京成電鉄が十一時から十七時まで運休したので、十七時に運転再開すると、込むになった。やっと、二時間にかかり、空港に到着した。空港側が寝るものが提供してくれたが、シャワーを浴びたり服を着替えたりできなかったので、夜でちゃんと寝ることができなかった。
十五日の朝、空港が大勢な人がにぎわっており、非常に長い列に並んでいた。十八時二十五分に発の便を乗る予定でも、心配してきた。幸い、十時過ぎると、列は だんだん消えた。空港に待つ人が少なくなった。十二時ごろ、私はチェックインカウンターへチェックインし、出国の手続きをし、待合わせ室で出発を待ってい た。その間、観察を通じ、外国人だけではなく、数多くの日本人も一時出国している。やはり、放射線は地震よりもっと怖いものだ。
時間になり、私が乗る飛行機は出発し、東京を離れた。いつに安心に東京へ戻れるかどうかわからないが、再び東京へ戻りたいと思っている。そして、日本人がそ んな厳しい時でも冷静にしており、感心してしまった。それに対し、自国の香港の人々は違う。その際には、私が日本の人々が早めに復旧して欲しい。
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